藤原新也という写真家がいる。

写真家と同時に文筆家である。

http://www.fujiwarashinya.com/

アウトローである。

いつも離れた所から世間を斜めに見ていて
けれどそれはひねくれているのではなく、常に真実を追い求める視点であり

そしてその根底には限りなく広く深い、人間への愛情がある。

泥の中から花を咲かせる蓮のように
彼の愛は、力強く見える。

先日、彼のブログを読んでいて、ちょっと(かなり)響いてしまった言葉があった。


 『哀しみもまた豊かさなのである。

 なぜならそこにはみずからの心を犠牲にした他者への限りない想いが存在するからだ。

 そしてまたそれは人間の中に必ずなくてはならない自らがかざす負の聖火だからだ。』


人間としての哀しみ。

人間だからこその哀しみ。


その哀しみに対してすら愛情を持っていられるという
人間としての深さを大切にしたいと思う。

薄っぺらいキラキラな「スピリチュアル」の世界では
人間の泥臭い感情は「忌むべきもの」「波動の低いもの」とのたまう輩もいるが
それを鵜呑みにして勘違いしないで欲しい。

その泥をたたえる水辺には
限りなく豊かな命が息づいている。

人間としての感情と経験があってこそ
美しい花は咲くのだ。

大いなる全て、全ての源たる「神」は
「経験」をするために分裂したのだ。

この泥の世界もまた、神にとっては
美しいひとつの風景に過ぎない。

そこから生まれる愛は限りなく豊かであり
その愛はやがて本当の光に進化していくだろう。

アトリエ花うさぎ

          

        14・悲しみという豊かさ